蓑虫庵
芭蕉翁五庵のひとつとされていますが、この中で唯一現存するのがこの蓑虫庵です。翁の門弟服部土芳の草庵で、貞亨5年(1688)3月庵開きの祝いとして芭蕉翁た句
「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」
にちなんで名付けられた。
「古池や蛙とび込む水の音」
の句碑も庭に有る。
芭蕉翁生家
芭蕉翁は現在の上野市赤坂町に生まれ幼少より藤堂新七郎家に仕え当主蝉吟(せんぎん)とともに俳諧を学びました。蝉吟の没後奉公を辞す、其の後江戸に出て俳諧師となり、37歳のとき「桃青門弟独吟二十歌仙」を発刊、蕉風俳諧の祖と仰がれる新規の俳風をうちたてた。
通りに面して翁の270回忌を記念し「古里や臍のをに泣としのくれ」
の句碑が昭和39年に立てられた。
釣月軒(ちょうげつけん)
生家の裏にあり芭蕉翁が処女句集「貝おほひ」を執筆したところで、伊賀帰省の折はこの建物で起居した。
俳聖殿 (上野公園内)
この建物は昭和17年(1942)芭蕉翁生誕300年を記念して、j地元の代議士故川崎克氏が私財を投じて建築した。
木造檜皮葺屋根の二層の塔建で、下は八角、上は丸型という八角重層塔建式の特殊なたてものです。
二階の屋根は旅笠、「俳聖殿」の文字あたりは顔、一階の八角型の屋根は柄衣を表しています。内には芭蕉翁座像が安置されています。
1.松尾芭蕉生誕地
松尾芭蕉は寛永21年(1644年)伊賀上野に生まれ、元禄7年(1694年)51歳で亡くなるまで、「野ざらし紀行」「笈の小文」「更級紀行」と「奥の細道」などの紀行文を残している。東海道、中山道には芭蕉や蕉門を偲ぶ碑が数多く残されている。一つ一つ訪ねて先人の思いに触れてみたい。